
「右片麻痺でも街中をたくさん歩こう!」へようこそ! はじめまして、管理人のゆういちと申します。
当サイトは、37歳の若さで突然の脳内出血に倒れ、それ以降右片麻痺になった山田(仮名)さんの経緯、葛藤、そして現在までをご本人に 執筆頂いたものです。
山田さんと同じ片麻痺を抱える方々に少しでも勇気と希望を持ってもらえるように心がけて作成しました。 特に障害者が一番悩むであろう人間関係や社会からの目について多く書いています。
片麻痺が少しでも多くの方々に理解されるきっかけになれば幸いです。 最後になりましたが、障害に悩む方やそのご家族が幸せに過ごせますよう心からお祈り申し上げます。
病気は突然、襲ってきました。横浜の友人が前日から野暮用で大阪に来ていたんです。夜、待ち合わせをして久しぶりにほろ酔い加減...気付いたら御前様でした。もちろん、我家に宿泊です。
次の日、少し眠いぐらいで何の変調もありませんでした。友人を見送るため新大阪に電車で...
みなさんにとって、子どもの頃の父親はどんな存在でしたか?私にとって父親は威厳ある人でした。今はさすがに温和になりましたが。
私は脳内出血で倒れて、病院のICU(集中治療室)に運ばれました。もちろん、意識は全くありません。1~2日経って...
病院に運ばれて3週間ぐらい経った頃だと思います。担当医の中島先生に呼ばれました。 「山田君(仮名)、右片麻痺はもう治らへん。脳内出血で倒れて1週間、動くようであれば多少の改善の余地はあるけど、 山田君は全然動かへんかったやろ。」「しっかりこの現状を受け入れなあかんよ。」
実は、友達の面会は断っていました。右片麻痺になって顔の様相まで変わっていたし...入院期間が3週間 ぐらい経ってからでしょうか。以前働いていた企業の先輩2人が面会時間ギリギリにヒョッコリ会いに来てくれ ました。
脳内出血で右片麻痺になった私は、リハビリテーション専門のボバーズ記念病院に3ヵ月入院しました。
入院する前の私は「世界で一番可哀想な人間」と思っている節がありました。家でもワガママ三昧、家族 も私に対して恐る恐る、気を使っていた状態です。
ボバーズ記念病院で入院していると、自然と仲間が増えていきます。始めは「なんで麻痺になったん?」 この言葉がいつもスタートでした。今でも5人とメール交換をしていて、年に1回は会っています。その中でも、 田中(仮名)さんとは本当にヤンチャしました。
右片麻痺の特徴として第一に挙げるとすれば、運動神経ではないでしょうか。左脳に運動を司る神経があるので、 その神経が死んでしまうと運動能力は極端に落ちます。実際、右片麻痺の人の方が運動障害も大きかったような感じがします。
私の年齢も含め、時代が時代なら障害者雇用をしている企業に職を求めていたと思います。しかし、 大阪では障害者雇用も余りないのが現状でした。
私はダメもとで、家の近くの事務職・アルバイトに応募し続けました。当時はまだ、パソコンのEXCEL・ WORDSを使いこなせる人は
「街中をもっとたくさん歩こう!」 これは私のライフスタイルになっています。
確かに、以前は「好奇な目で見られてるんちゃうか。」と思い続けていました。それは自分の本心を隠す言葉でも ありました。「こんな不細工な姿見られたくないねん。歩くのが面倒やねん。」