右片麻痺の特徴として第一に挙げるとすれば、運動神経ではないでしょうか。左脳に運動を司る神経があるので、 その神経が死んでしまうと運動能力は極端に落ちます。実際、右片麻痺の人の方が運動障害も大きかったような感じがします。
それともう1つ挙げるとするならば、言語障害です。ボバーズ記念病院に入院している時、いろんな人と友達になりましたが、 言語障害を引き起こしてる人は右片麻痺ばかりでした。
私は右片麻痺です。妻に一度言われたことがあります。「先生にこう言われたねんで。旦那さんはまず寝たきりになると 考えてください。多分、言葉も話すことは出来ないと思います。」頭部のMRIを何度も撮って見せてもらったことがあります。 脳の死んでいる部分が真っ白く写っていました。言語障害が起こってもおかしくない場所から脳内出血を起こしていました。
10年経過した私の身体の状況と言えば、右片麻痺はそのままですが杖を持たないで歩くことができます。言語に関しては、 最初の1~2年は口に唾液がすぐ溜まって話しにくかったのですが、今はほとんど健常な頃と変わらないくらい話すことができます。
そういうことを考えると「私はある意味、すごくラッキーだったんや。」と思ってしまいます。特に言葉が話せなければ意思の 疎通も困難になり、もっと自暴自棄になっていたかもしれないからです。
ボバーズ記念病院も退院し、半年間続いた病院生活に終止符。私は歩けなくなることに恐怖を感じていました。いろいろな 人の退院後の話を聞いていたからです。
こういう人がいました...1人だと歩くことも面倒くさくなって、結局寝たきりに。また...歩きたかったけど、人目に自分の姿を さらすのが嫌で嫌で、、、結局、家の回りを歩くだけで行動範囲の狭い人生を送っているとか...
退院直後、私は足首が垂れ下がらないように装具で足首を固定し、左手には杖を持って歩いていました。目深に帽子を 被り目線は道路、ただただひたすら歩き続けました。毎日、みっちり1時間、汗がジトッと浮かぶぐらい。
ひたすら歩き続ける...これには自分なりの理由がありました。1人で歩く癖をつけたかったからです。面倒くさいと思わなく なるように、歩くことに慣れることが目標でした。
もう1つ、目深に帽子を被り目線は道路...これはかなり深刻でしたし、私を悩まし続けました。とにかく、人の視線が怖かった からです。「まぁ、若いのに可哀そう。」「これから大変やろうねぇ。」誰もそう思っていないことはわかっていました。しかし、 当時の私には夢に出るほど深刻な悩みでした。
道が少し狭いと誰もが端に寄ってくれました。「すみません。」「なんで俺がいつも謝らなあかんねん。」「おばちゃん、ジロジロ 見んなや。」 こんな声に出ない言葉ばかりが頭をよぎっていました。
だけど、その頃の経験が今は本当に役立っています。だって今は、装具も杖もいらない、帽子もいらない、前をしっかり向いて 歩いているからです。