病院に運ばれて3週間ぐらい経った頃だと思います。担当医の中島先生に呼ばれました。 「山田君(仮名)、右片麻痺はもう治らへん。脳内出血で倒れて1週間、動くようであれば多少の改善の余地はあるけど、 山田君は全然動かへんかったやろ。」「しっかりこの現状を受け入れなあかんよ。」
診察室を出て、妻と涙が枯れるぐらい泣きました。 例え、右片麻痺が治らへんとわかっいても、心のどこかで「治る可能性は絶対にあるはずや。」と、思っていましたから。 身体が大きくて、いつも明るく接してくれていた中島先生が本当に鬼のように感じました。
病院とは不思議なところで3ヵ月したら無条件に退院しないといけません(理由はここでは言いません)。 それから、2週間程してリハビリテーション専門のボバーズ記念病院に入院したのですが、その病院でやっと 中島先生の真意がわかりました。
中島先生は病気の現状を伝えることで、早く立ち直ってほしいと言う気持ちが強かったのだと思うのです。 確かに、私は「まだ、なんとかなるはずや」と思っていたのも事実ですし...。その真意をボバーズ記念病院で 理解できたのです。
半年ぐらいしてからでしょうか、慣れない左手で中島先生宛てに手紙を書きました。「いろいろ私のことを考えていただき、本当にありがとうございました(簡略)。」 中島先生とは今ではメル友になっています。
脳内出血で倒れ病院に搬送、結果は右片麻痺、何とか脳圧も治まり精神状態も安定してきました。 1ヵ月過ぎた頃からリハビリテーションの本を読み始め、病院内で階段の昇降、歩くことを訓練していました。 病院内の廊下って本当に真っ直ぐで、私のような麻痺患者でもつまづいて転ぶということはありません。
私の行動を絶えず気にしてくれていた中島先生から「山田君(仮名)、天気の良い日に一度、私と外を歩いて みいへんか。」 私は二つ返事で「はい!お願いします。」 私は身長180cmあるのですが、中島先生も同じぐらい身長があるので私の杖代わりになってくれました。
私が脳内出血で倒れてから初めて歩く街中でした。「病院と全然違う。めっちゃ、怖い。」 健常な頃は道路 のガタガタなんか気にもしてなかった私が、ちょっとした傾斜や石ころでビクビクしているのです。
それよりももっと強く感じたことがありました。「さらしもの」という言い方には語弊があるかもしれませんが、 すれ違う人すべてが私をジロジロ見ているように感じてしまったのです。「可哀そう、まだ若いんちゃうの...」 こんな声が耳元で聴こえてくるのです。もちろん、錯覚の何物でもありません。
とにかく病院と街中では全く違う...病院で歩いていると気にかけてもらえる、街中ではそうじゃない。街中を 歩くということが、いかに大変かということを思い知らされた1日でもありました。