みなさんにとって、子どもの頃の父親はどんな存在でしたか?私にとって父親は威厳ある人でした。今はさすがに温和になりましたが。
私は脳内出血で倒れて、病院のICU(集中治療室)に運ばれました。もちろん、意識は全くありません。1~2日経って、意識があったりなかったりの状態の時、 家族や両親が来て少しだけ話しかけられたそうです。
妻や母親・姉に対しては「大丈夫!大丈夫やで!心配せんでも」 私はそう答えたらしいです。でも、父親に対してだけは違っていました。「お父ちゃん、ごめんな。迷惑かけて本当にごめんな。」(ロレツは多少、マシになっていたそうです) 無意識の中にも自分の本当の気持ちが出るんだとわかりました。父親には泣きごとというか素直な気持ちが表れていて、妻や母親、つまり女性に対しては無意識に男としての責任感・強さを見せたかったのだと思います。
当時、私には5歳の長男と2歳の長女がいました。子どもたちにはICU(集中治療室)にいる私を見せることはしなかったそうです。何故だと思いますか...私は右片麻痺になったのですが、顔の筋肉も麻痺で垂れてしまって「ひどい表情」になっていたそうです。つまり、子どもたちに見せられないほどの顔に...ICU(集中治療室)で子どもたちに合っていたら、私はどんな言葉を投げかけたんだろう...。父親としてどんな表情をしたんだろう...。
脳内出血で倒れてICU(集中治療室)に1週間、そして一般病棟(6人部屋)に移されました。
その頃の心境として「なんで右側の身体が動かへんねん。」「でも訓練すれば絶対に動くようになるわ。」...「一般病棟での自問自答の日々」とタイトルに書いていますが、結局「なんでやねん。」の繰り返しだったような気がします。 何かちょっと気に食わないことがあると、妻に、看護師さんにも暴言を吐いていました(脳に障害が起きた人のほとんどがこのような症状になるようです)。
ベッドの上から動こうにも動くことができず、上半身だけ持ち上げても5分もその姿勢を保持することもできない。脳内出血で倒れて、一番悶々とした時間が流れていった時だと思います。 発症して丸10年が経ちますが、一般病棟に移された1週間前後だけ、自分の心境もアヤフヤなのも事実です。
では何故、このようなタイトルをつけて記事にしているのか?それは脳内出血で倒れたすべての人が、このような状況に追い込まれるからです。動かなくなった身体に対して「焦り、憤り、後悔」です。それがまさしく悶々に繋がっているのです。 脳内出血の死亡率は年々減少しています。しかし、患者数は増加傾向にあります。つまり、私のように悶々とした日々を体験した人は増えているのです。 その当時の私は「なんでやねん。」の中に「なんでやねん。なんで生きてるねん。」...これが正直な気持ちだったと思います。
私は脳内出血で右片麻痺になりました。麻痺と言うぐらいですから、右側の筋肉が重力によって垂れさがるわけです。一番顕著な例が足首ではないでしょうか。ダラーンと指先から垂れ落ちるという感じです。
私は一般病棟に移されてすぐ、妻に問いただしたことがありました。「俺が一般病棟にいてるのに、なんで子どもたちをここに連れてけえへんねん!」 私はどうしても子どもたちの笑顔が見たかったから、何度も何度も妻に詰め寄りました。妻も理由をいろいろ並べて言っていましたが、ついにこう囁いたのです。
「今の表情は子どもたちに見せられへんねん。麻痺だから頬も垂れさがって、すごい不細工な顔やねん。」「でもな、顔は直に元に戻るねんて。だから、もう少し我慢して」... 「元に戻るんやろ?だったら、今の表情見たいから鏡かコンパクト、持ってきてや。」 妻もそうなれば私に従うしかありません。
私は自分の表情を見て「あかん。これじゃぁ、怖がるだけや。」「裕子(仮名)、表情がある程度、元に戻ったら子どもたちを病院に連れてきてなぁ」 それから2週間ぐらいして、妻が子どもたちを病院に連れてきてくれました。考えてみれば、ロレツもまだ悪かったので子どもたちの名前を呼ぶぐらいで、あとはベッドに座らせ頭をなでることぐらいしかできませんでした。